防府市護国神社
境内地は桑山(くわのやま)招魂場と呼ばれ、慶応元年に御楯隊の調練場として拓かれた。明治三年に招魂社が創建され明治維新殉国の烈士五十三柱の英霊が奉祀された。その後、大東亜戦争までの郷土出身の戦没者が祀られた。境内に砲弾が置かれている。(帝国陸海軍現存兵器一覧より)
桑山招魂場
慶応元年(1865)9月、桑山に御楯隊志等(御堀耕助総監等)により修錬場として造成されました。そこに明治3年(1870)、元整武隊志等が、御楯隊、整武隊、三田尻海軍局など100余人の志士達の招魂碑を建立しました。
その中には、楫取素彦の実兄松島剛蔵の墓碑もあります。
また、明治25年10月、整武隊隊長であり、東上軍総指揮官だった山田顕義(日本大学、國學院大學創設者)撰の碑文が刻まれた維新の志士達の招魂碑「桑山招魂碑」もあります。(おいでませ山口より)
宇部護国神社から1時間ちょい、最終目的地であります「桑山公園」へ到着しました。
こちらはかなり大きな公園なのですが、ここの一角に「防府市護国神社」とその前身であります「桑山招魂場」があるという事で馳せ参じた次第です。
公園の中でも結構奥まった部分にバイクで向かいます。手前の公園は色々と遊具なんかもあるようですが、奥はなんというか静かで落ち着いた雰囲気。
兎も角バイクを駐車場に置いて公園に入ります。
グラウンド入り口の小さな鳥居。暑さもあってか子供達もみんな日陰で休憩してるぽ。
自分も日陰を伝って奥にある神社へ向かいます。
そして本殿。左右には来歴不明の砲弾が飾ってありました。
賽銭箱もありませんのでとりあえず参拝のみ。
周囲には墓碑や記念碑などもありました。
そして一段高い場所に作ってあります「桑山招魂場」へ登ります。
草いきれの中を歩き回る事も覚悟していたのですが、周囲の草を綺麗に刈ってくださってた様子。ありがたいことです。
途中にある墓碑にも手を合わせつつ、一番上にある招魂場へ。
山口を守護ってくださった英霊に感謝しつつ手を合わせます。
暑さを忘れて祈りました。
こんな感じで晩夏の山口行を楽しんだ次第です。
下関要塞関連でまだまだ行く場所がありそうですし、山口へは再度来訪することになりそうッス。