枕崎市における戦災の状況
太平洋戦争末期、軍部は本土決戦の準備に追われていた。敵の上陸地点として鹿児島県では枕崎市沿岸も重要地点の一つとされていた。そこで昭和19年舶舶工兵部隊の暁部隊の配備に次いで、主力部隊として昭和20年4月には護南兵団の配置が見られた。
枕崎では昭和20年元旦、偵察機とみられる1機のB29が高高度飛来して以後、3月17日を皮切りに度々激しい空襲を受けた。また、古くから南方漁業基地として栄えた港町枕崎は、大型漁船も多かったため軍人以外の働き手の男性は、軍に徴用された鰹船に乗って南方にあり、残った銃後の人々は山周部に疎開小屋を造り、子供、老人をはじめ重要な家財道具の疎開を強いられることになったのである。その後も繰り返し、波状的に攻撃が加えられてきている。
最初のころは数回にわたる機銃掃射攻撃であったが、後には焼夷弾による爆撃を受けるようになり、これによる被害が甚大なものとなった。
特に、7月29日家屋が密集している市街地に、8月1日には山間部に油タンクや焼夷弾が落とされ、家屋のほとんどが焼失するなど壊滅的な被害を受け、多数の死傷者を出した。(総務省HPより)
平和祈念展望台
平和祈念展望台は,戦艦大和の沈没地点から北側約200kmに位置する小高い丘に,戦艦大和の沈没50周年にあたる平成7年4月に建立されました。
太平洋戦争で散華された多くの英霊の殉難鎮魂之碑と,世界の恒久平和を願うシンボルの女神像が安置されています。
とうとう鹿児島でも最南端部分に到達、枕崎市の片平山公園&火之神公園でございます。普通に九州縦断してる気もするんですがいつものこと。先ずは片平山公園にあります枕崎戦災の慰霊碑を詣でます。
先ずはナビ通りに公園へ到着…まぁ慰霊碑の影も形も見えません。
とりま展望台がありますので、高いところから見れば判るかなーと周囲を睥睨。
結果まぁ見事に何もわかりません。
仕方がありませんので近くにあった児童館のお姉さまに「慰霊碑とか近所にありませんか?」と問うてみますと丁寧に場所を教えていただけました。ありがとうございます。
ナビで道を確認しつつ、教えていただいた場所へ向かいます。
周囲は見事に工事中・・・。
奥への慰霊碑にはグラウンド側から周れる模様。一度道を戻ってグラウンド側から再トライです。
ちなみにヘルメットや用具一式は木陰に避難…この時間マジで地獄の暑さッスよ。
こんな感じで慰霊碑へ慰霊の念を送りました。
平和になりました、安らかにお眠りください。
そして更に南下しまして、鹿児島の左の最南端でもあります火之神へ向かいます。途中から廃墟ばかりになっていてちょっとドキドキw
時間があったらこの辺の廃墟も探索してみたいなぁ(廃墟好き)
映画ロケ地は心底興味ないので さっさと目的地へ向かいます。ゆるい坂が海側の崖まで続いてる感じ。
…そして、大和達の眠る海が見える場所に辿り着きます。
暑さを忘れ、一つ一つの慰霊碑に手を合わせました。どうか安らかにお眠りください。
帰り際に、慰霊台の下に解説板を発見。
何故か羽黒だけ別の場所に貼ってありましたが、これはこれでちょっとおいしいかもw
まだまだ1日の半分も予定をこなしてない…俺たちの旅はまだ始まったばかりだ!(2ヶ月ぶり5回目)