霞ヶ浦海軍航空隊
霞ヶ浦海軍航空隊(かすみがうら かいぐんこうくうたい)とは、1922年(大正11年)大日本帝国海軍で3番目に設立され、1945年(昭和20年)の終戦まで存続した航空部隊。航空隊要員の操縦教育を担当した。
1920年(大正9年)から整地・湖岸の埋め立てが行われ、1921年(大正10年)7月霞ヶ浦飛行場が完成した。同年9月から翌年10月までセンピル教育団による講習が行われ、日本海軍航空隊の技術は大きく前進した。講習が終わった11月1日、霞ヶ浦海軍航空隊が開設され、同月から終戦に至るまで搭乗員養成の飛行教育が行われた。(wikipediaより)
土浦海軍航空隊
土浦海軍航空隊(つちうらかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。予科練の練成を行ってきた霞ヶ浦海軍航空隊を初歩練習・実用練習部隊に改編させるため、予科練習部を独立移転させる形で発足した。太平洋戦争開戦とともに、全国各地に後発の予科練航空隊が林立したが、そのルーツともいえる教育部隊である。(wikipediaより)
イベント開始の今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
自分はまぁ今のところE-1攻略後にブラブラする感じ。E-4まで掘りがないので少し考えながら進めていきたいと思います。
後半はどんな地獄が待っているやら。
閑話休題。
筑波を出た後は南下して霞ヶ浦へ向かいます。目標は「予科練平和記念館」…大分でも予科練の話は伺いましたが、此方には大きめの施設で公開してあるとの事。12日午後の飛行機で帰還しなければなりませんので多少飛ばし気味に向かいます。
そして到着。
こちらの記念館は全館写真撮影禁止 orz
全体的に映像や音声を上手く使って判りやすい記念館になっていたと思います。
子どもにも理解しやすく単純明快な作りになっており、非常に楽しんで周ることが出来ました。
一通り周りましたら次は併設の公園へ。こちらには回天や零戦の実物大模型等が屋外に設置してありました。
記念館を出た後は向かって左側の道を進み、隣の敷地にあります「雄翔館」へ向かいます。途中には「雄翔園」と言う公園もあるとのこと。
なんつーかモロに陸自の敷地内なのですね…。奥のボックスには陸自のお兄さんが詰めてる様子。挨拶して中に入っていきます。
左手には上記の公園があり、散歩するのに良さそうな景観が広がっていました。
春に来たらまた違うんだろうなぁ。
そして件の「雄翔館」へ到着。
右手奥には陸自の施設らしく戦車や高機動車がずらりと並んでおりました。うぅむ、あっちも見てみたい。
ちなみに此方は写真撮影禁止とは書いてなかったのですが「転載禁止」との文言が。遺影も多くありましたし、自分は写真撮影せずに拝見だけさせていただきましたぜ。
色々と考えさせられる資料が揃っており、改めて良い時間を過ごさせて頂きました。
これにて茨城の旅行予定は全て完了。
近所にあるという牛久大仏を見てから成田へ向かいます。
艦内神社は不確定含めて残りあと7箇所。GWの旅行で全部終わるかもしれません。
とりあえずイベント頑張ります!