艦これ御朱印帳

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休艦日その76 関崎砲台跡地(大分県佐賀関町) / 佐伯海軍航空指揮所跡(大分県佐伯市)———— 2018年 6月17日

関崎砲台

大正九年に佐賀関の古宮地区に陸軍築城部豊予支部が設置され、大正十五年に豊予要塞司令部が発足した折に、豊後水道から敵国が攻め入らないために砲台が数箇所に設けられました。

その時に、ここにも砲台が設置されましたが、一度も発射されることなく終戦を迎えました。(現地看板より)

旧佐伯海軍航空隊と掩体壕について

昭和六年二月、海軍省が九州東海岸に航空隊を設置することを決定し、佐伯はその有力候補地として、町の発展を願いに盛んに誘致活動を展開していきました。
 その結果、立地条件の優位により、同年八月に佐伯海軍航空隊の設置が決まりました。
 以来、女島沖・長島一帯、濃霞(のおか)山周辺まで約四十万坪もの広大な区域が海軍航空隊の用地として整備されていきました。この工事には、地元の人々を中心に千人を超える労働者が従事したといわれ、昭和九年二月十五日に佐伯海軍航空隊が正式に開隊し、飛行場が設置され、西側の中江川沿いにには戦闘機の格納庫・指揮所が並び、基地の中枢を担っておりました。
 昭和十六年十一月には、ハワイ真珠湾攻撃に先立ち佐伯湾で連合艦隊の統一訓練が行われており、本気地が太平洋戦争の開戦に大きく関わっていたことが分かります。
 昭和二十年ごろになると進攻作戦に転じた米軍の九州が次第に激しくなってきました。そのため待機中の戦闘機を米軍の爆撃から守り退避させるための掩体壕が、本飛行場内に分散して設置されました。
 この掩体壕はそのうちの一基で、現有規格からして零式戦闘機又は飛燕戦闘機が格納されていたと思われます。
 この度、貴重な戦史遺産として、文化庁の「登録有形文化財」に原簿登録されました。            

 興人佐伯工場(現地看板より)

 

 

えー、5-3超沼ってますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。久しぶりにやると歯応えあります。

 

とりあえず昨日の続きなのですが、別府でラーメンを食した後は海辺を目指して暑い大分をひた走ります。目指すは関崎砲台・・・と言ってもナビでは出ませんので、近くにある「関埼灯台」を登録して進むことしばし、途中からかなりの酷道へ入ります。

半端に舗装とかはしっかりしているのですが、深めの側溝の上に草が生い茂って目隠しになっていたり、二車線と車線なしをカーブしながら変化してみたり…しかもそこそこ車通りもある所為で藤原拓海も事故るレベルの本気っぷり。そんな罠っぽい道路を抜けていきますと、左手に標識が見えてきました。

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それなりに急な斜面が続いておりますが、ともかく下まで降りてみます。

 

 

 

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10分程下った場所で砲台跡を発見。今まで色々見てきましたが、こんな四角い形のものは初めて見ます。

一通り見た後は、まだ下に海岸があるようでしたのでついでに向かいます。

 

 

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そして到着。当たり前ですが人っ子一人おりません。

初夏のビーチを満喫しつつ、少し休憩して道を戻ることに。波の音って癒やされますなぁ。

 

そして多少汗をかきながら、次の佐伯へ海辺の道をひた走って向かいます。

海辺の道超サイコー。

 

 

次の「佐伯海軍航空指揮所跡」は、実は工場の敷地内にあります。以前近所の「佐伯市平和祈念館やわらぎ」に来た時はそれを知らず断念したのですが、今回は入り口の守衛さんと話し、住所氏名を用紙に記入したら突入です!

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入って左奥には2つの掩体壕。コンクリート製のかなり立派なものですが、奥の一つは用具入れになっておりました(^^;

一通り探索した後は右側にあります指揮所跡へ向かいます。

 

 

 

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見た感じ結構ボロボロなのですが、天井が高い平屋建ての立派な指揮所。

多少の小雨は気にせずに写真を撮りまくります!

 

 

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ホール部分は高い天井が特徴的で、床が多少危ないですがそれ以外はしっかりとした感じ。中は立入禁止なので入り口から写真撮影。

 

 

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左側は天井こそ低いものの全体的に教室のような雰囲気。こちらで事務やらをやってたんでしょうねぇ。兵どもが夢の跡…少ししんみりします。

 

 

こんな感じで周囲をぐるっと拝見した後は、また守衛さんに挨拶をして帰還することに。由布岳PAで休憩しましたがかなり寒かった(^^;

 

6月の晴れ間を抜いての旅行は、短いですがこんな感じで終了です。

長期旅行前にもう少し行きたい場所を考えておかねば・・・