下関要塞
九州側は富野から東は和布刈、南は高蔵山にかけての小倉、門司の山々、下関側は火の山、霊鷺山などの山々の全体を要塞として活用した巨大な要塞で、小倉にあった第12師団の管轄下にあった。明治時代の任務は関門海峡、周防灘の沿岸防備であった。昭和になると朝鮮海峡の防衛と小倉陸軍造兵廠を中心とした小倉市街地の防空を主な任務としていた。そのため、玄界灘の島々にも砲台を築いている。
戦後、要塞の跡地は様々な運命を迎え、中には取り壊された施設もあるが、当時の状態で未だに残っている施設も多い。一部は陸上自衛隊が使用しているとみられる。(wikipediaより)
和布刈公園
和布刈公園(めかりこうえん)は、福岡県北九州市門司区和布刈地区(大字門司・旧門司二丁目)にある公園。公園内には門司城跡がある。門司港レトロ地区からも近く、関門海峡を臨む観光地の役割りを持つ。なお公園への連絡道路は一方通行である。(wikipediaより)
手向山
手向山(たむけやま)は、福岡県北九州市小倉北区赤坂4丁目にある高さ76メートルの山である。小倉北区と門司区の境界に位置する。宮本武蔵を顕彰する小倉碑文があることで有名。
1887年(明治20年)、関門海峡周辺の要塞化にともない、下関側の田の首砲台とともに手向山は最初に砲台の設置がはじまった。長崎事件は前年であり、日清戦争は7年後のことだった。これより手向山は一般人の入山が禁止された。山は小倉にあった帝国陸軍第12師団支配下の下関要塞司令部によって1945年(昭和20年)まで管理された。(wikipediaより)
イベント期間も半ばを過ぎる今日此の頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
自分はイベント終了致しました・・・乙で!
定番に成りつつある展開ですが、甲でe7の一本目を割ることが出来ずに燃料を10万ちょいまで消費。間宮・伊良子・洋上補給も使い切ってしまい無念の撤退で御座います。(予想通り)
今回も艦娘は全てコンプリート!A判定勝利で終了です。
甲勲章は残念だったですが、掘りは終わっておりますのであとはのんびりまるゆ掘り。イベント終了してらっしゃらない方は引き続き頑張られて下さい!
閑話休題、今日は天気も良かったので北九州は下関要塞の砲台跡地へと行って参りました。本当は登山も兼ねて色々行きたかったのですが、肋骨にヒビが入っている状況では無理と判断し、手軽に行ける場所を選んでみました。
そんな感じで最初はPAめかりのすぐ近く(高速からは入れません)にあります古城山砲台後へ。麓にある定食屋さんでおでん定食を食べた後にバイクで途中まで登っていきます。
展望台の駐車場にバイクを置いて徒歩10分。結構な荒れ地の坂を登ります。良い天気ですが他に誰も居ない…
山頂手前には弾薬庫らしいアーチ型の倉庫が。なんかこの形も見慣れてきたなぁ。
上に続く道が細い道と太い道で別れている様子。どうせ両方行くんだし最初は太いほうで登っていきます。
到着!
上には史跡の記念碑と大型の砲台跡、その後ろに石造りの階段が続いています。この階段を降りると先ほどの細い道のほうへ続く感じ。これって弾薬の搬送で使ってた道なのか知らん。
一通り堪能したら、今度は南下して手向山公園へ向かいます。
手向山公園は少し高台に面した公園でして、登っていく途中にも結構な戦争遺跡が残っていました。見かける度にバイクを駐めて写真撮影。
探照灯の台座跡にはコンクリに直接場所の名前が彫ってあります。これを見ながら動かしてたんでしょうねぇ。
こちらは小さめの砲台跡。真下に弾薬庫があるのを急な階段がつないでありました。
そしてやっと最上部へ到達。
思った以上に大きな遺跡…
左右に100m近く広がる弾薬庫は、砲台跡が残っていないにしても規模の巨大さをあらわします。大きさで言えば今まで見た砲台跡地の中でもダントツかも知れません。中に入れないのが残念だなぁ。
弾薬庫部分を撮影したら上へと上がります。
展望台からは下関を見下ろすナイスビューポイント。
これは確かに海峡の要ですわ。
近くにあった佐々木小次郎の碑にも手を合わせました。
こんな感じの北九州探訪でした。
肋骨治ったら登山で行く砲台にも向かいたいです。