震洋
震洋(しんよう)は、太平洋戦争で日本海軍が開発・使用した特攻兵器。特攻艇。
1944年10月下旬レイテ沖海戦に投入された神風特別攻撃隊より半年以上前に本特攻兵器の開発は始まっていた。小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦して目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する。「震洋」の名称は、特攻部長大森仙太郎少将が明治維新の船名を取って命名したもの。秘匿名称は「○四(○の中に四)金物」(マルヨンかなもの)、○四兵器。マルレと合わせて○ハとも呼ばれた。(wikipediaより)
魚雷発射試験場跡地を出て10分程。今度は特攻兵器・震洋の訓練基地沿岸の慰霊碑を目指します。
途中の線路向こうに見える煉瓦の建物(廃墟)や電車の橋脚等色濃く残る史跡を横目で見ながら目的地へ。全部見てたら多分1日かかる。
到着。
とても綺麗にしてある広場に、多くの花と一緒に慰霊碑がありました。
そしてお隣には資料館(閉まってました)と震洋の模型が。
手を合わせ、慰霊の念を送った後は最終目的地である城山公園へ向かいます。公園の駐車場でバイクを褒めてくれたおじいちゃん本当にありがとう。長生きしてネ!
公園自体は本当に川棚を一望できる山の上にありました。子供たちがボール遊びをやっており、ここでホームラン出したら下の家まで一直線だなと思ったり。
立派な慰霊碑を見ながらお正月最終日を鑑みます。どうか見守っていて下さい。
そして今年一年、皆様に良い風が吹きますようお祈りいたしております!